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well-being cafe より 強みを知る

私は、毎週金曜日の朝7時から齋藤みずさんとwell-being caféをClubhouseというメディアで配信しております。金曜といえば、TGIF(Thank God, it’s Friday)のニコニコウキウキの曜日ですね。幸せな一日を過ごすために心を休める時間になればと思っております。

さて、このカフェから6月5日に行った話題を紹介します。旧ブログ「あなたと夜と数学と」からこちらに転載いたします。


芍薬の話

この日の朝、みずほさんの家の芍薬の花が開いたのだそうです。ところが、満開になってその美しさに見惚れているうちに、あっとういう間に崩れ落ちるように散ったのだそうです。その散り際も圧巻だったとのこと。

 

芍薬と言えば「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉が思い出されます。これは女性の凛とした立ち居振る舞いの美しさを表す言葉ですね。しかし、今回みずほさんの話から、芍薬には、また別の美しさを感じ取ることもできます。

 

それは、「最高の状態の時に一気に散る」という潔さです。タレントやアスリートなどにも見られる「美学」というものに通じるかもしれません。イチロー、中田英寿、安室奈美恵、山口百恵(ちょっと違う?)、栃錦(古い)、原節子(古い!)、などが思い浮かびます。私も、身体がガタガタになって醜態を晒す前に消えたいと思う者であります(それも美学さ)。

 

さて、私が感じた、芍薬のもう一つの美しさは、「その儚さこそ本物である証拠」ということでした。例えば、国宝級のお茶碗であっても、落とせば割れるし、使っているうちにヒビが入ることもあります。落として割れてしまうのは悲しいことだけれど、だからこそ私たちはそこに命を感じることができます。100均で売っているプラスチックのお茶碗なら、落としても割れることはありません。それは本物でないからであり、私たちはそこに命を見出だすことができないのです。芍薬が儚くも散るのは、まさにそこに命が宿っているということ、本物であるということ、だからこそ人は心が動かされるのだ、と。

 

強みを知る

 

みずほさんから、「自分の強みとは何か」と問われました。なかなか自分では思い浮かばずまごまごしていたら、みずほさんが私の強みを言葉にしてくれました。

「しもまっちは、いろいろな人や、事象の中にある、誰もが気づかないような美しさや価値を見抜き、それを掘り起こして、その良さを言語化する力を持っている」

とのこと。なるほど、そうかあ。でもそうやって人から言われると何か嬉しいですね。

 

ジョハリの窓で言うと、自分の強みとは、自分も他者も両方が知っているということが本来の姿なのでしょう(「開放の窓」)。

 そうであることで、その強みをうまく「使う」ことができるわけですから。

 でも、今回の私のように、自分ではわからず他者から知らされることによって(「盲点の窓」)、新たな自分の発見にもつながるわけですね。 

因みに私の場合を掘り下げて自己分析すると、敢えて「自分には強みなんかない」とあらかじめへりくだっておくことで、何らかの保険をかけるというコンプレックスが働いているようにも見えます。この「へりくだり」によって、相手の承認を得ようとする

(「そんなことないよ」と人に言わせる)とか、ストレスを回避しようとする(ほんとうにダメなときにショックを受けないための計算)メンタリティは私の欠点ですね。

自尊感情

次に、みずほさんから自尊感情、自己肯定感についての話がありました。岩手の話をすると、岩手県民は特に自尊感情が低いと言われ、実は自尊感情を高めることが県政の課題になっています。私が県庁にいた頃は、全国学力調査や県立高校で行っている意識調査において、「自分にはいいところがある」と答えた生徒の割合を●%以上にする、といった数値目標を設定し、県議会にまで

報告されるようになっていました。まあ、こんなことで自尊感情を測るということが、何ともミもフタもないわけですが。

それより、自尊感情が低いことを子どもたちの自己責任問題で片付けるのではなく、子どもたちの創造性を育むような授業が展開できていたかということの方にフォーカスすべきではないかと私は思います。

 

ここで、みずほさんと私が共通して感じていたことは「自尊感情が高まらないからダメ」ということではないということでした。

自尊感情が低いのは、もしかしたら日本人や岩手人の奥ゆかしさの表れともいえるかもしれません。また、自尊感情や自己肯定感が高い人は、物おじせずに行動できるのかもしれませんが、自尊感情が自尊過剰となると、マウンティングになることもありますね。

怒るときほめるとき

人を褒めるとき2つのパターンが考えられます。一つはAさんがBさんを直接褒めるというもの。もう一つは、AさんがBさんに

「CさんがBさんのことを誉めていたよ」と、第三者を介して褒めるというものです。一般的に、前者より後者の方が嬉しく感じるのではないでしょうか。みずほさんによると「褒めるときはWeで」とのこと。

 

なるほどなるほど。

 

これを怒るときにWeにするのはだめですね。「みんながお前をダメだといっている」ではだめでしょう。このような場合にWeを用いると、それはイジメや同調圧力の世界につながっていきます。そこで、私が「褒めるときはWeで、叱るときはIで」ですね、と言ったら、みずほさん曰く「褒めるときはWeで、叱るときは愛で」だそうです。

 

 うまくオチがつきましたね。今回もとても楽しい時間でした。

 ではまた。