メッセージ


「学校の中の私」から「私の中の学校」へ

 私は1980年から40年にわたり学校教育に携わってきました。その中で、目標とする先輩や尊敬する同僚、そしてかけがえのない子どもたちと出会い、多くの宝物を得ることができました。私の教師としてのスキルやマインドは、学校という組織の中で育てられたものだと思います。ですから私は、私を育ててくれたすべての組織に感謝しています。

 

 しかし一方、人は組織や集団、コミュニティに属すことで、「安定」を得ることと引き換えに、「束縛」も引き受けます。そしてしばしば、組織という閉じた世界での料簡や常識、あるいは肩書、役職という「立場」が、「本当に大切な事」を見誤らせるバイアスとして作用することもあります。

 

 私は2017年に花巻北高校を退職し、校長という肩書がはずれたとき、自分は組織に守られて生きてきたことをあらためて実感しました。そして、そんな肩書や組織という属性が無くなった時こそ、地球に立つ「一人の個」としての在り方が問われるのだと気づきました。

 

 人は社会がこしらえた様々な垣根に囲まれて生きています。でも、それをはずした時にこそ、互いを認めあい、リスペクトしあう魂の出会いが生まれるのではないか、そしてそこに、進歩や変革を産みだすエネルギーが潜んでいるのではないかと私は思っています。

 

 私たちは東日本大震災という未曽有の災難を経験し、そして今は、Covid-19という、政治、経済、生活様式、価値観等々、あらゆるものが、大きな変革を迫られる時代に遭遇しています。その変革の方向は、集団から個別化へ、均質・画一から多様化へ、権威や肩書から愛と親しみへ、などではないかと思います。それは学校教育においても同様です。

 

 私は、これまで学校という組織の内側からの視点で授業改善や学校改革を提起し実践してきました。それは、言ってみれば、私の中にある「理想の学校」を模索する旅だったように思います。

 そんな私が、年を経て、現在の状況を踏まえたとき、思い至ったのが、「学校の中にいる私」を反転させ「私の中にある学校」を創ろうというものでした。「理想の学校づくり」に骨を折るのであれば、はなから「理想の学校」を自分の中に作ってしまったらいいのではないかという、いわばコペルニクス的転回でした。

 

 そんな思いから、この「しもまっちハイスクール」が立ち上がりました。ですから「しもまっちハイスクール」とは、屋号でありコンテンツであり、そして「私の理想の学校」でもあります。更にそれを突きつめて言えば、私自身といってもいいのかもしれません。