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生き抜く力を育てるためのキャリアデザインを考える

2021年9月22日に、青森県高等学校教育研究会進路指導部会で講演を行いました。コロナ禍ということで、急遽オンラインになりましたが、県内のすべての学校からリモートでの参加があり、熱心に聴いていただきました。今回は長くなりますが、その講演の内容を記していきたいと思います。


はじめに

「生きる力」と「生き抜く力」はどう違うのか、「生きる力」とは何か。今日は、文部科学省的な「確かな学力」、「豊かな人間性」、「健康と体力」という3つ定義を超えて、先生方個人における「生きる力」や、今勤めている学校の生徒にとっての「生きる力」「生き抜く力」とはどんなものなのかということを皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

「生きる力」と「生き抜く力」

先ほど「生きる力」とは何かという問いを皆さんに投げかけました。皆さんからのチャットを見ると、「失敗してもくじけず再チャレンジできる力」、「自分の目標を設定し、その目標達成のために進む力」、「社会の変化に臨機応変に対応する力」、「他者と共にお互いを理解して共に歩もうとする力」、「人とつながりを持つ力」など、たくさんの意見を出していただきました。もちろん答えは一つではありません。これは答えのない問いですね。私たちは往々にして、学校改革や授業改善を行うときに、方法論やスペシャルなメソッドのような「答え」を求めがちです。でも、その前に根本に立ち返ることが大切です。私はそのために、学習指導要領の6つのサイクルに注目したいと思っています(図1)。

 

図1
図1

まず、このサイクルの「何ができるようになるか」という、資質・能力の部分から出発します。ここを職員が共通理解することが、学校改革・授業改善を進める上では大事なことではないかと思います。ここでいう資質・能力とは、一般的には「学力の3要素」を指します。いわゆる知識・技能と、それを使って課題解決していく思考力・判断力・表現力、そして学びに向かう姿勢といわれるものですね。次の「何を学ぶか」は、それを実現するためにどのようなカリキュラムを作るか、「どのように学ぶか」はそのためにどう授業を見直すか、「何が身についたか」が評価、「何が必要か」はマネジメントといった流れになりますね。

私は「何ができるようになるか」を「本当に大切なこと」と言っています。

それを皆で共有するのですが、往々にして「それは大切だけど、今はそれどころじゃない」などと言って、ただ神棚に祭って終わっている状況が見られます。そこが問題なんですね。だから「本当に大切なことを本当に大切にする」という営みが必要になります。それがこの6つの枠組みだと思うのです。

図2
図2

そして、「本当に大切なこと」とは、「学力の3要素」に加えて、学校が求める生徒像、あるいは地域・社会・世界に貢献する力なども含めて考えていく必要があります(図2)。つまり「生きる力」ですね。そのような「生きる力」を育むことが私たちのミッションであると言えます。ですので、まずは、本校の生徒にとって「生きる力」とは何だろうという問いを自分事化にしていくこと、そしてそれを組織全体で共有し、それをどうやって具体に落としていくかを組織経営の根本に据えていく必要があると思います。そのようなわけで、先ほど皆さんに「生きる力」とは何かと問いかけたのでした。

大野高校の例

一例として、私が大野高校に着任し、学校経営計画を策定したプロセスについてお話しします。私は最初に学校・地域の実態を見つめることから始めました。大野高校のある洋野町は、過疎が進み、産業も衰退しています。また生徒の学力格差の問題や、定員割れが深刻で存続問題にも直面していました。もちろん、いいところもいっぱいありました。地域の大人達が生徒を温かい目で見守っていること、挨拶がよくて純朴な生徒達であること、部活動も卓球部を中心に野球部、サッカー部なども頑張っていることなどです。

そういう状況を踏まえていく中で「基礎学力向上」「脱・内向き」「地域との連携」など5つの教育目標が浮かびました。そして、それを踏まえて、大野高校の生徒達に必要な「生きる力」とは何だろうかと問う中で生まれたのが、「他者とよい人間関係を作り発信できる力」、「地域のために自分の知識を活用する力」、「自分を信じる力」、「感謝の心を持ち人のために動ける力」の4つでした(図3)。その上で、このような「生きる力」を身に付けるにはどのようなコンテンツを作ればいいだろうかという方向に進んでいくわけです。具体的には「テクノロジーの活用」「校種間連携」「教育センターとの連携」など12のコンテンツを策定しました(図4)。

図3
図3
図4
図4

このような順が大切だと思うのです。もし、いきなり具体的な取組をどうするかというWHATから入っていくと、昔取った杵柄に頼ったり、他の学校でやってきてスペシャルな技法や、教育委員会が示すひな形を単に当てはめていくことになります。それは持続可能ではないし、そもそも生徒に響かないものですね。そうではなくて、実態から出発して、この生徒の「生きる力」は何だろうということを考え、それを共有し、そこから具体にブレイクダウンしていくことで学校改革や授業改善が進んでいくのではないかと私は考えます。そういう意味で、「生きる力」とは何かを学校の中で考える機会を持つのは非常に大事だと思います。特に、学校の中にある校訓などを今風にどう解釈して、生徒にどのように伝えていくかなども関連させてみるとおもしろいのではないでしょうか。

「生き抜く力」とは

図5
図5

ところで、「生き抜く力」という言葉を皆さんはいつ頃聞きましたか。私がこの言葉に出会ったのは30年以上前でした。それは、当時の学指導要領の目玉であった「生きる力」へのカウンターのような文脈で登場したように思います。私はその時に、『生き抜く力』(1987年出版)という本を買って調べてみました。著者はジュリアス・シーガルという心理学者で、訳者は小此木啓吾氏です(図5)。そして、副題が「Roots of Human Resilience」となっています。レジリエンスという言葉は「苦難とか逆境をしなやかに乗り越えていく」という意味で、まさに今時の言葉としてしばしば語られていますが、実は1987年の段階、またはそれ以前に、その研究が始まっていたのですね。因みにこの本に出てくる心理学者や精神科医の中には、ポジティブ心理学を創設したマーティン・セリグマンとか、「夜と霧」のビクトール・フランクルなど名だたる人たちが登場します。この本から読み取れる、「生きる力」と「生き抜く力」の違いとは、逆境や苦難を前提にしているのが「生き抜く力」ということではないかと私は捉えています。

文部科学省が言う「生き抜く力」には、「将来の変化を予測することが困難な時代の中で、どのような状況下においても、夢を持ち、自ら人生を切り拓いていく力」ということが書かれています。とすれば、これもジュリアス・シーガルの言う「生き抜く力」と通じるところがあると私は思います。状況が変化して不安な世の中(という逆境)があり、そんな不安を抱えながら、自分の人生をどう切り拓いていくかということなのですから。ということは、「生き抜く力」を身につける前提として、これまでの日本や世界の問題点・課題に対してアンテナを立て、自分の考えを持っていくことが必要であると思います。

 

以上を踏まえて、「生き抜く力を育てるためのキャリアデザインを考える」というテーマでお話しするにあたり私は次の5つの問いを立ててみました。

  • 日本や世界はどのような課題を抱えているのか
  • それを踏まえて我々はどのような人生設計をすれば良いのか
  • 不透明な世の中で働くことや学ぶことの意味をどう捉えなおすか
  • 夢を持つとはどのようなことなのか
  • 人生を切り拓く生き方とはどのようなものか

以上についてこれから掘り下げて話していきたいと思います。

日本と世界が抱える課題

初めに絶対的貧困率の話をしたいと思います。世界には1日2ドル(200円程度)で生活をしている人々がどのくらいの割合いると思いますか。少し古いデータですが(2015年)、それによると、世界の人口の約10%である7億人もが絶対的貧困に陥っています。これを見て、それは途上国の人たちの話であって私たち先進国に暮らす人間には関係ないと思うでしょうか。しかし私たちは、これが明日の我々の姿かもしれないという想像力を持たなければなりません。もちろん、日本の絶対的貧困者数はそれほど多くないのですが、一方で相対的貧困率は世界でワースト2位という状況なんですね。相対的貧困率とは人々がもらう給料のメジアン(中央値)の半額以下で生活している人々の割合のことです。日本の給料の中央値は240万円ほどなので、相対的貧困率とは年収120万円未満の人の割合ということになりますね。この比率が日本は約14%で、それだけでも日本は貧困率については非常に深刻な問題を抱えているといえるのではないでしょうか。

 

図6
図6

また、「日本が誇れない世界1位」というランキングがwebにあげられていますが、それを見ると、例えば食品添加物の数、農薬の使用量、水道水の塩素濃度、若者の自殺率などがワースト1位になっています。これは日本が高度経済成長を遂げた影の部分でもあるといえないでしょうか。私たちを含め、未来を生きていく子供たちは、このような日本の負の遺産を返上していく使命を課せられていると言ってもいいのではないかと思います。

 

図7
図7

もう1つの問題点として「高齢化」について取り上げておきたいと思います。2030年には65歳以上の前期高齢者が人口の3分の1を占め、2040年には1800ほどある自治体の半数が消滅し、2060年には後期高齢者が4人に1人になるという予測値があります(図7)。

皆さんは高齢化社会と聞いてどんな印象を持ちますか。孤独死や認知症などの負のイメージを抱くかもしれませんね。でも、もし仮に高齢化社会が私たちに不安を与える要因ならば、そこにこそ「生き抜く力」を考えるヒントがあるのではないかと私は思います。例えばなぜ平均寿命が伸びてきたかというと、医療イノベーションや人々の健康志向の向上などがあげられると思います。これらは逆説的に言うと、高齢化の恩恵とも取れます。経済や医療の発展、人間のマインドの変化などと長寿社会は強い相関があると思うのです。今後、高齢者サービスの台頭や世代間交流の活発化、働き方改革の促進など、長寿社会が社会に恩恵をもたらしていくことが期待されるし、それが先ほど話した「日本が世界に誇れない1位」を返上できるチャンスにつながるのではないかと思います。つまり、高齢化社会を逆境と見るならば、それを越えようとすることによって「生き抜く力」の姿が見えてくるということですね。

 

リンダ・グラットンの名著『ライフシフト』では「100年ライフ」の展望が描かれています。そこに書かれていることですが、日本の現在の高校生の約半数は107歳まで生きるという予測データがあります。そして今後先進国においては「100年ライフ」が当たり前になってくるのですが、日本はその中でも突出して早く高齢化が進行していくといわれます。そこで日本が長寿恩恵社会をどのように実現していくのか世界中が注目しているというのですね。そのような意味においても、特に世代間交流を大切にし、高齢者をリスペクトしていく社会を世界に示していく必要があると思います。

また、「テクノロジーの進展」という文脈で長寿社会を捉えたとき、SNSやIoTなどは若者たちが生活や趣味を楽しむためというより、高齢者や障害者、僻地に居住する人などの社会的弱者がそのハンディキャップを埋めるためのものであるべきであると私は考えます。そのような点で、長寿社会の進展とテクノロジーの発展には親和性があると言えます。

一つの実践事例を紹介します。岩手県のある高校生の探究活動における「マイクロワーク」という取組です。まず、お年寄りは生活に困難を抱えている場合が多いけれど、一方で庭仕事や郷土料理など、得意分野を持っている人も多いということに着目します。つまりWANTSとGIVEをそれぞれ持っているということです。これをICT技術によってネットワーク上に可視化とマッチングの空間を構築することで、相互の困りごとを解決しあうコミュニティを作ろうという非常に画期的な研究です。実現のためにソフトウェアを開発し、仮想通貨の利用なども想定し、大変興味深い方向に進んでいました。残念ながらこれはまだ途中で、実現はしていませんが、長寿社会には「生き抜く力」のヒントとして良い例ではないかと思います。

新しい日常とライフステージの構築

図8
図8

次に2つ目の問いである「ライフステージの構築」についてお話しします。「教育・仕事・引退」という3つのステージから構成される「80年ライフ」と呼ばれる典型的なライフステージは、「100年ライフ」になるとどう変化するのでしょうか。例えば図8のように、80年ライフにおける仕事の期間、あるいは引退後の期間のいずれかを引き延ばすという議論になりがちですが、これはあまり幸せな選択ではないと思います。これからの時代は、1つの仕事を長くやり続けることは現実的に難しくなっていきます。だからといって長い老後を生きるのは生活に困窮するという一面もあるでしょう。このような「教育・仕事・引退」という3つのステージでキャリアプランニングしていくことは100年ライフの中では限界があるように思います。昔は同世代が一斉に学び、一斉に卒業し、一斉に就職して、出世を隣の人と競い合う、といったライフステージでした。私はこれを「競争」と「勝組」のライフステージと呼んでいます。このようなライフステージは消失し、これからはもっと違う方向へ進んでいくということです。

 

図9
図9

例えば、現在は、もうすでに大学に行かず高校生ぐらいから起業するといった人生設計をしている人もいます。起業して、しかし挫折し、自分の足りなさに気づく。そこで学び直しの機会が必要になり、大学なり専門学校に行ってスキルを獲得する。このような「学び直し」は、隣の同世代の人と競い合うような偏差値重視の進路選択ではなく、自分の目的意識と合致した主体的な学びの選択です。このような人生設計において、新たな学び直しと新たな仕事のサイクルが生まれていくわけです。

また、私自身の話をすると、私は40年ほどの教員生活を経て、引退後は情報の非常勤講師を1年間勤めました。その傍ら、絵画教室や英会話教室、ロータリークラブ、食養生ワークグループの活動など様々な学びを行いました。その後、私立学校に勤務しながら同時に他の高校の探究アドバイザーの仕事も行いました。そんな経験を2年ほど積んだ後、現在「しもまっちハイスクール」という教育コンサル業を立ち上げました。

このような、学び直しをしながらエスカレーターを乗り換え、あるいは時に複数のエスカレーターに乗り、新たなキャリアを築くという働き方も今後進んでいくのではないかと思います。このような、周囲の人と切磋琢磨して競争するのではなく、自分らしさを重視したライフステージを、「共創」と「価値組」と私は表現しています(図9)。

そこで求められる「生き抜く力」とは、キャリアアダプタビリティとキャリアアンカー、つまり、状況の変化に対応できる力と、一方で変化の中でも確固たる自分の軸・信念を持つことであるように思います。

 

数年前に山口県の萩市にある「萩Love」というグループのメンバーとお話したことがあります。この団体は萩市の高校の「総合的な学習の時間」に生徒支援を行う、探究アドバイザーをされていました。このメンバーの方々と名刺交換して面白いなと思ったのは、「萩焼作家×ウェブデザイナー」、「民泊経営×ウェブデザイナー×農業」、「看護師×防災士」など複数の仕事を同時に行っているということでした。パラレルキャリアとかポートフォリオワーカーと言われていますが、このような仕事の形態が今後増えていくのではないかと思います。

今ある仕事はどんどん変わっていくとか、AIに代わられる仕事が増えていくとか言われている昨今ですが、そんなときだからこそ、自ら仕事を作りだす目を持つことが大事だと思います。そのためには、今の社会に起こっている課題は何なのかといった問題意識が根本にないといけないと思うのです。

それからコロナの時代になってわかってきたこととして、個別最適化という言葉がもてはやされています。これまではスケールメリットがすごく強調され、大きいこと、多いことがいいことみたいになっていましたが、これからは、マイノリティであるからこそ、それが強みになるという部分もあると思います。

また、先程の萩のメンバーに共通して言えるのは、「誰かの喜ぶ顔が見たいから」ということを強いモチベーションとして活動しているということです。そして、自分も楽しむ、自分らしさにこだわりながら自分を磨くという感覚を持っているということを感じました(図10)。

 

図10
図10

さてここで、現在の状況の課題を話すときに避けては通れないのがコロナの話です。コロナ禍の中で、ニューノーマル、すなわち新しい日常という言葉が盛んに語られています。これは、ある出来事が起き、それによってそれ以前の生活スタイルとか経済の仕組みとかがガラッと変わってしまうことですね。例えば、オイルショックが高度経済成長から低成長期に変わるきっかけになったことや、ポケベルから携帯、携帯からスマホ、MS-DOSからWindowsへの移行、リーマンショック、そして大震災などが挙げられます。これらは、その出来事が起こったその日をもっていきなり変わったわけではなくて、大体は旧パラダイムの中で、一部のイノベーターが新しいことを始めだし、それに寄り添う人や、そうじゃないと反発する人がいてその相克を経て徐々に新しい日常が生まれていくということなんですね。新しい何かを始める人がいた時、それに対して皆がイエスマンになっていくということではない。「それは違うのではないか」という人がいることにより、徐々にシステムが強化され、新しい日常が生まれていくということです。今はその過渡期であるということだと思います。だから我々教育屋に求められるのは、旧パラダイムから新パラダイムへの変化に敏感になり、そこに橋をかけていくような存在になることだと思います。今はコロナの状況だから数々の大会が中止になったりとか、夜の飲み屋へ行くことを制限したりという状況ですね。これはいわば「緊急避難的」な対応と言えるかもしれません。ですがもう一つの捉え方として、コロナという状況の中で見えてきた旧パラダイムの問題点、今まで見過ごしてきたことにメスを入れるきっかけにしてくという考え方もあります。であれば、コロナが明けた後、旧パラダイム通りにすっかり戻るのではなく、例えばマスクをして手洗いをする文化は残していかなければならないとか、常に経済効率を優先する考え方を改めるとか、都市の一極集中を考え直すとか、学校であれば、個別最適化を視点に入れたオンライン教育を取り入れるとか、そういう変化が生まれる過渡期であるのかもしれないということです(図11~13参照)。

図11
図11
図12
図12
図13
図13

なぜ働くのか、なぜ学ぶのか

3つ目の問い、なぜ人は働くのか、なぜ人は学ぶのか、という根本を考えていきたいと思います。生活費を稼ぐため以外にあなたが働く理由を20文字以内で教えてくださいという、百万友輝さんという漫画家の投稿がSNS上にありました。その答えとして、「仕事が面白いから」、「社会貢献と自己成長を楽しむため」、「自分にしかできないことで褒められるため」、「よりよい世界を子供たちに残したいから」、「自分の特技で人の役に立てる実感を得るため」、などたくさんの回答が寄せられています(図14)。これを見たときに私は、共通していることは「Ikigai」ではないかと思いました。「Ikigai」とは沖縄で長寿について研究をされていた欧米の学者が紹介した言葉で、これが日本に逆輸入されたんですね。「Ikigai」の定義は「好きなことを続ける(Love)」、「得意なことをする(Great at)」、「社会のニーズにこたえる(Needs)」、「自分の生活を支える(Paid for)」の4つの重なりの中にあるということです(図15)。そうであれば、「働く理由」は、まさにこの中に入っているものだなあと私は思ったのです。

 

図14
図14
図15
図15

図16
図16

私はこの「働く理由」を「学ぶ理由」に置き換えて問いを立て、いろんなワークショップとか講演会で、参加者の方々の答えをコレクションしています。例えば「そんなこと考えたことない、とにかく言われたことをやるので必死」というものがありました。これはある教員の回答です。我々の時代はそうなんですね。学ぶ理由を考えている間に公式を1つでも覚えなさい、といったような時代ですね。当時は、「四当五落」という言葉がありました。4時間しか寝ない者は合格し、5時間以上寝る者は落ちるという意味です。つまり、勉強=物量と時間という考え方です。今はそうではないですね。8時間以上寝た方がヒラメキが起きる、というようなことが脳科学のトレンドになっています。

そのような中で生徒からの回答はとても面白いものがあります。もちろん大学に合格するためとか資格を取るためというのもありますが、それだけではありません。「自分のその先を大きくしたい」「楽しいから学ぶ」「仲間を作るため」「自分の可能性を広げるため」「人生を楽しむ力・世界を広げる力をつける」等々。これらを見たときに私は、「なぜ学ぶのか」は「なぜ働くか」と同様「Ikigai」というキーワードで括られると思いました。つまり、「なぜ働くのか」という問いと「なぜ学ぶのか」という問いは基本的には同じであり、それは「幸せに生きること」つまり「Ikigai」を見つけることでもあるということです。

 

夢を持つということ

図17
図17

次に4つ目の問い、夢の話をしたいと思います。「夢を持つとは。夢とは何だろう」という話です。私は植松電機専務の植松努さんという方の話をよく引用させていただいております。彼は「夢ってたくさん思いつくと思うけれど、具体的であればあるほどそれは手段だ」といいます。そして、自分の夢が夢か手段かを判断するためには、その夢にプランBがあるかどうかで、プランBが思いつかない場合それは夢ではなく手段だといいます。

例えば、ある生徒の夢が医者になることだとします。ではそこにプランBがあるかというと、医者以外に医者になる方法、すなわちプランBはないですね。それならこれは手段だということです。この生徒に、ではなぜ君はお医者さんになりたいのか考えてごらん、と尋ねたとします。例えば「人の命を守りたい」と答えたとすると、それならばAEDを作るとか、薬を開発するとか、いろんなプランBが出てきますね。つまり「人の命を守りたい」というのが夢であり、医者になるというのはその中でのプランAに過ぎなかったというわけです(図17)。医者になるのが夢だと思っていると、その夢が破れたときにときにそこで立ち直れなくなります。その先にある人の命を守りたいというところから出発すると、医者になる夢が無理だったとしても、それなら薬を開発する方向に進みましょうなどとなれば、自分の想い、夢というものはつながっていくわけですね。

 

ここで、ある学校での例を挙げます。夢は「公務員になること」という生徒がいました。どんな職種かと尋ねたところ、それはまだ決めてないといいます。では何で公務員になりたいのかと聞くと、安定しているから、とのことでした。私は、公務員になりたいと言うことは、公共の利益とか、全体への奉仕とかから出発するはずだから、社会や人や未来のために仕事をすることに生きがいを感じないのかと重ねて尋ねました。すると「私は将来の具体的な目標はありませんが、社会のために行動を起こそうとはしません。仕事は、あくまで自分と家族が生活に困らないようにお金を稼ぐことが一番の目的です。社会のためとか、立派なことを成し遂げたいとは思いません。学歴のために大学を出て、身の丈に合う仕事をして、結婚して、ご近所さんと仲良くしてつつましく暮らすのが私の夢です。そんな私にも、社会や未来のために仕事をすることは必要でしょうか。」と答えたのでした。

 

この子に対して、みなさんならどういうアドバイスをしますか?考えてみて欲しいと思います。あるワークショップで出てきたいくつかの意見を紹介します。

 

「あなたの考える『学歴の~』という幸せは、誰かによってすり込まれたものではないですか」

「あなたの考える『身の丈~』という生活を手に入れることは、これからの時代では難しくなってくるのでは」

「あなたの感じるそんな幸せをあなただけではなくてみんなが感じられるようになるといいですね」

 

これらは非常に大事な視点ですね。幸せとは伝搬していくことで強固で持続するものになっていきます。だから、自分や自分の周辺の一部だけが幸せであればいいというのは、不合理のように思われます。また、現代において、『身の丈に~』という生活は「学歴」を手に入たとて、そんなに簡単に実現するものではありません。むしろその実現のためには、肩書や学歴よりも、広い視野と批判的な視座を持ち、その中で自分の考えや、利他の心を持つことの方が大切だと思えます。

 

「言われたことをただこなして、自動的に幸せが手に入るものではない」

 

といった意見もありました。先生に、国公立のこの学部にA判定が出ているよと言われ、そのままそこに行ったら自動的に幸せになれるというわけではないですよね。大事なのは主体性であり、主体的に生きることは、幸せを感じる感度を磨くことにもなるんですね。最後に、97歳の方の意見も挙げておきましょう。

 

「あなたの考えはよくわかります。いいことだ、と思います。だけどもったいないなとも思います。あなたにはもっともっと楽しく充実した人生を送る可能性があるのに、それを最初から狭めていることに対してもったいないと思うのです。あなたにはたくさんの本を読んでもらいたいと提案します」

 

このように、世代を超えた人とも意見を交換し合うというのは、キャリア教育を進めるにおいても非常に大事なことですね。

 

 

図18
図18

ところで、考え方としてWhatから入るかWhyから入るかというものがあり、Whatから考えていくより、WhyからHow、whatに向かっていくことが大切だと言われています。例えば看護師を志望する生徒がWhyから出発していく例をあげておきます(図18)。最初に、「世界の貧困問題を自分事として考えた」「コロナの時代の医療の必要性というものを実感した」「震災の時の思い出」「地域医療のことを考えた」などといった根っ子があり、それを踏まえて、では自分はその中からどのような看護師を目指すかに思いを馳せていくわけです。例えば「地域医療を目指す」とか「海外で活躍する看護師を目指す」とか、「AI時代の新しいタイプの看護師を目指す」とかですね。そういう目指すべき看護師像があって、その上で、では今何をしようかということなんですね。例えば「部活でよい人間関係を目指す」とか「先輩にアプローチして話を聴く」などといった具体的に行動を変えていくことにつながっていくわけですね。「なぜ」から出発し、「どのように」「何を」と進んでいくことで、主体的な学びが生まれ、それによって日常が充実していくと思うのです。逆パターンの例としては、とりあえず先生に言われたこと、課題だけこなせばいいとか、ネットができてコンビニが近くにあればいいとか、親から言われたからとか、公務員になればいいとか、そういうところからスタートすると、 夢が破れたときにそのまま挫折してしまったり、自分というものがなくなり他人に迎合する人生を送ることになるのではないかと思います。「なぜ」の視点を持つということは、不満や批判的な視点を持つことにもつながります。不満を持つということは、「自分はこうありたい」という向上心につながります。批判的な視点は、他者の苦しみを理解することになり、それは優しさにつながるものでもあると思います。そしてまた、「なぜ」の視点を持つことは、身の周りを見つめるという習慣にもつながり、それが「生き抜く力」の原動力にもなるのではないかと思います。

人生を切り拓くための生き方

人生を切り拓くための生き方ということで、何人かの人の話を引用しいたします。まず、フェイスブックCEOのザッカーバーグ氏が、ハーバード大学の卒業式の時に行ったスピーチからです。

 

「みなさんは人生の目標を見つけなければならない、なんてことを私は言いません、そんなことは誰だってわかっている、それじゃあ不十分だっていう話を私はしにここに来たのです。私が言いたいのは、『誰もが』人生の中で目的を持てる世界を創り出すこと、これが大事だ」

 

つまり、最初に述べたように、世界の課題は何なのか、今我々が抱えている問題はどのようなものか、そこを見つめ、そして未来はどう変わっていくのかというビジョンを持つことが大切だというのですね。私たちが創る未来は、自分が所属する狭い世界の中での競争に勝ち抜き、自分と自分のわずかな周辺だけが潤っていればそれでいいというものではなく、みんなが人生の目的を持てる社会を作ることが自分の幸せに帰ってくるのだという話だと思うのですね。この話は、まさに根本的な「生き抜く力」につながってくると私は思っています。

次に、マサチューセッツ工科大学のメディアラボの所長をしていた伊藤穣一さんの話を引用します。

 

「Compasses over Maps(地図よりもコンパスを)」

 

地図というのはいわゆるマニュアル、成功モデルというもので、このままこうすれば自動的に成功が手に入るというモデルのようなものです。今の世の中ではそういったマニュアルを手にすることより、今持っている手持ちのスキルや、リソースを自分で組み合わせて課題を解決したり、問いを生み出したり、というように自分で道を切り開いていくことが求められるということですね。それがコンパスということだと思います。また、地図とは肩書や学歴ということとも置き換えられるかもしれません。

似たような言葉にマルセル・プルーストの

 

「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない、新しい目で見ることなのだ」

 

という言葉があります。

 

ちょっと私のエピソードを話します。私の知り合いが、岩手大学の人文社会学部に合格したというのに、めちゃめちゃ塞ぎこんでいました。どうしたのだろうと思ったら、前期試験で東北大学を落ちたことを未だに後悔していたのです。後期で岩手大学に合格したので親や先生に行けと言われて仕方なく入ったとのこと。それで人生終わりだ、もう教師になるしかないなどと話していました(教師なめんなよという話ですが)。彼は、「東北大学に入ること」自体を夢にさせられてしまったということかもしれませんね。私がその時思ったことは、もし彼が東北大学に入ったとしても、きっとうまくいかないだろうなということでした。どんなに環境が整っていても、「新しい景色を見つける眼鏡」が曇っていれば、そこで充実した学びを行うことなんかできません。そもそも、大学はあなた自身のために環境を用意してくれているわけではなく、その環境から自分が主体的に選択し、新しい人生を切り拓くということに尽きるのです。逆にいうと、自分が「真の発見をできる眼鏡」を持ってさえいれば、どこの大学であろうが自分が輝ける場所を見つけることができるということだと思います。置かれた環境の中で道を切り拓くこと、これこそまさに「生き抜く力」だと思います。

図19
図19

ではどうしたら私たちは「新しい目」を得て「真の発見を得る旅人」になれるのでしょうか。ここで私が花巻北高校に勤務していた時の取組を話したいと思います。花巻北高には「黒橋魂」といわれる校訓のような言葉があります。これを生徒に聞くと、「根性」とか「不屈の闘志」といった紋切り型の答えしか返ってきませんでした。そこで私は「黒橋魂」を保護者や生徒に伝わるように、今の状況に合わせてわかりやすい言葉で置き換えようと考え、花北のOBの先生方から意見を集めながら3つの柱で再定義してみました。その3つの柱とは「知性と知恵」「精神的活力」「調和とつながり」です。これを磨くことが、「新しい目」を得て「真の発見を得る旅人」になることにつながると考えました。

図19をご覧ください。まず、「知性と知恵」とは学ぶことです。個人として、チームの一員として、賢い市民の1人として知性を磨き続けることですね。「精神的活力」はコンピュータでも追いつけない人間の社会的知性や創造的知性につながる力です。フローとは物事にのめり込む力です。努力は熱中にかなわないという言葉もありますね。グリッドとは粘り強くやり抜く力とう意味です。今の世の中において「がんばれ」という言葉は否定的に扱われ、「がんばらなくていいんだよ」という言葉がポジティブなものとして語られています。例えば理不尽なことを強要されたり、みんながやっているからというような同調圧力に負けて、頑張るという必要はありません。そういった意味で「がんばらなくていいんだよ」という言葉に意味があると思うのですが、そうではなくて夢を諦めるためのエクスキューズに使われることもあるのですね。つまり、もう少しで叶うような夢があり、でもそのためにはすごい努力をしなければならないという状況の中で、その努力から逃げ出すために「がんばらなくていいんだよ」にすがりついて自分をごまかしてしまうということです。そこでグリッドなんですね。目標を成し遂げるために諦めずに、最後まで頑張ろうという気持ち。これが黒橋魂の精神の中心にあって、「生き抜く力」でもあるということです。3つ目は「調和とつながり」です。人はいい環境を持つことが大事であり、それが自分の軸にもなっていきます。よい人間関係をつくること、よいコミュニティに属すことが「新しい目」を得ること、そして「生き抜く力」をつけるための知恵になっていくと思います。

「生き抜く力」と幸せな人生を送る力

幸せな人生を送ることは「生き抜く力」を身につけることと親和性が高いと思います。先ほど「生き抜く力」の本の中に出てきたマーチン・セリグマンは、「PERMA」といわれる幸せ力を高めるための5つの因子を提唱していますのでそれを紹介します。

PはPositive Emotion。悲観しない、前向きな気持ちを持つ、ハッピーな未来予想図を描くということです。EはEngagement。自分の強みを知る、自分のやりたいことに全力を傾けるということです。RはRelationships。良い人間関係を作る、出会いを大切にすること。MはMeaning。なぜを掘り下げる、人生の意味を見つけていくこと。AはAchievement。チャレンジし、成功体験を積んでいくということです(図20は幸せなキャリア教育という設定でアレンジしたもの)。

また、幸福学の第一人者と言われている慶応大の前野先生は、幸せの4因子というものを提唱しています。これは「やってみよう」(自己実現と成功の因子)、「ありがとう」(つながりと感謝の因子)、「なんとかなる」(前向きと楽観の因子)、「ありのままに」(独立とあなたらしさの因子)というものです(図21)。

図20
図20
図21
図21

私は講演会などで、この幸せの4因子をもとにしたワークをしばしば行っています。4因子それぞれについて、小さなことでもいいので自分が取り組みたいことを書きあげてもらうんです。そしてそれを皆でシェアしていきます。このように共同することによって自分の中の想いが増幅されたり、あるいは他の新しい気づきを得たりといったことにつながっていくように思います。こういうハッピーワークをキャリア教育の中でやってみてもよいのではないかと思います。楽しみながら「生き抜く力」を培うことにもつながっていくかもしれません。

※図22~24は盛岡第三高校で行ったときのもの。

図22
図22
図23
図23
図24
図24

図25
図25

もう十年近く前からですが、「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は大学卒業時に今は存在していない職業につくだろう」とか「今後10年~20年程度で47%もの仕事が自動化される」という言葉がずいぶん語られてきました。でも、「47%の仕事が自動化される」といいますが、マイケルオズボーンたちの研究内容は、人工知能が追いつけない仕事特性として、共感力、説明力、芸術性、独創性など9つの特性を提起して、それを700もの職業にその因子がどのようにかかわるかを分析して、ソーティングしたというものであって、つまりAIに追いつけない知性をどう育むかという問題提起をしたものだと私は解釈しています(図25)。ところが、半数の仕事がなくなるという言葉ばかりが一人歩きしている状況が未だにあるわけです。

社会が変わる、仕事がAIに取って代わられる、だから主体的に生きなきければだめだ、というのはパラドキシカルな話です。未来はこうなる、だから主体的であることを受動せよ、みたいな。私は、そんな言葉に左右される必要はないといいたい。なぜならその新たな未来を創り出すのは君たちだからだ、という話なんです。未来を切り開くのは君たちだ。ただし、闇雲に行動するのではなく、そのためにはどんな問題意識を持っているか、他者のために心を遣えるか、そんなことがベースにあるかどうかです。そして、そのための資質・能力、つまり「生きる力」「生き抜く力」を学校で培っていくことが求められるのではないでしょうか。

 

 

科学者であり教育者であり、音楽家でもあるアラン・ケイはこう言っています。

 

「未来を予測する最大の方法はそれを発見することだ」

 

「生きる力」というのは自分の人生を幸せに生きることであり、しかしそれは自分とその一部の周辺だけが幸せになることではない。なぜなら社会は全体でつながっているからです。

結びにヘレン・ケラーの話をして終わりにしたいと思います。

 

「私たちはたった一人の人間でしかありません。しかしそれでも一人の人間です。私たちは万能ではありません。しかしできることはあります。そして万能ではないからこそ、私はできることを拒みません。世界は苦しみに溢れています。しかしそれに打ち勝つことでも溢れています。」

 

今コロナの時代で世界は苦しみにあふれています。だけど、打ち勝つことにも溢れています。私たちはできない理由を言う前に、できることを拒まずにチャレンジしていくことが必要です。そのことによって「生き抜く力」が身につき、それを人々に広めていくことになるに違いないからです。ご清聴ありがとうございました。